大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(う)976号 判決

被告人 石垣武則

〔抄 録〕

所論は要するに、被告人車が当該交差点に進入する時(少なくとも衝突時)には、被告人の対面信号は青色を表示しており、したがって、本件衝突事故について被告人には過失がないと主張するものである。

そこで記録を精査し、当審における事実取調の結果を含めて検討してみると、先ず、衝突の相手方である大川三男は、原判示交差道路から交差点に入るに際し、右側の斉藤八百屋の前あたりの地点(停止線の一九メートル位手前で、衝突地点までは三一、二メートルある)に来たとき、対面信号が青から黄に変わったので、黄信号のうちに交差点を通り抜けようと考え、毎時約四〇キロメートル強というそれまでの速度を一段と速めたうえ、そのまま進行を続けた旨、明確に供述しているところ、大川とすれば、前方に、いわゆる京葉道路という、右交差道路よりははるかに広く(片側三車線、車道幅員一八メートル)、かつ交通量も多い幹線道路のあることを十分意識し、そこを横断しようとしていたわけであるから、それなりに緊張し、自車の速度、交差点出口までの距離、信号の変わる時間を一応念頭に置いたうえ、自分の対面信号が黄のうちかあるいはおそくともいわゆる全赤のうちには通り抜けられるものと判断したはずである。(本件においては、大川は、全く信号を見ないで漫然と交差点に進入したとか、京葉道路上の車両が青信号に従って一斉に動き出す中をあえて直進しようとしたとかいうものでないことが明らかである。)そして、右の判断が、いわゆる全赤の時間をも計算に入れたやや強引なもの(停止線の手前で停止すべきであり、かつそれが可能であったと認められる)であったことは確かであるけれども、同人が、自動車の運転免許を取得してから日が浅く、運転も未熟であったとはいえ、すでに一〇年以上も前からオートバイを運転し、しかも現場附近の道路状況を知悉していたものであることを考慮すれば、大川の右判断が全く見当違いのものであったとは考えられず、大川車は、対面信号が黄に変わった時点においては、京葉道路上の車両が青信号に従って動き出すまでの間に横断を完了することが、その速度や交差点の幅などに徴し一見可能とみられるような範囲のところまでは達していた、したがって、対面信号が黄に変わるのを見た地点として大川が指示した地点(ちなみに同地点から交差点出口側の横断歩道までは四六、七メートル程度)は、比較的真実に近いものと認められるのであって、この点に関する大川の供述は、基本的に信用し得るものといわなければならない。もっとも、大川車に後続していた栗原俊朗の供述に従えば、右の信号が黄に変わったのは、大川がいうのよりは幾分早い時期であったことになるかの如くであるが、右栗原の一連の供述について、その内容や変遷の経過をし細に検討すれば、その観察や記憶がそれほど正確なものとも思えないのであって、右の点に関する同人の供述が、大川本人の前記供述の信用性に対し特に影響を及ぼすほどの証拠価値を有するとはいえない。

右によれば、大川が信号の変わるのを認めた地点から衝突地点までは三、四〇メートルしかないことになるが、他方大川車の速度について検討してみると、その速度は、もとより、それぞれの段階に応じて刻々変わるわけであるし、所論のいうように正確な数値をもって確定し得るような性質のものではないけれども、同所の制限速度が毎時四〇キロメートルであること、当初毎時四〇キロメートル強の速度で進行していたという大川自身の大体の感覚、栗原の見た大川車の走行状況、スリップ痕(諸般の状況に鑑み、大川車のものと認めざるを得ない)の長さ、衝突後における大川車の暴走振りなどに徴すれば、大川は、対面信号が黄に変わるのを見て加速を試み、その結果大川車は、その上げ幅が毎時一〇キロメートルにも達したか否かは別としても、毎時四〇キロメートル(秒速約一一メートル)をかなり上回わる程度にまで速度を増し(加速することが物理的に不可能であったとは考えられない)、制動後においてもまだ相当の高速度を維持していたものと推認するのが相当であるから、大川としては、信号が黄のうちかあるいは黄から赤に変わる境目の頃までには、衝突地点に到達していたという関係が成り立つのである。

また本件においては、大川車の進入する側の交差点入口附近で同車の進行して来る交差道路を横断すべく信号待ちをしていた矢沢菊美の供述を総合すれば、大川車が矢沢の目前を通過して交差点に進入したのは、同人自身が大川車の対面信号が黄に変わるのを認めたときからのタイミングとして、まだその信号が黄を表示している間か、せいぜい赤への変わり目位の頃であったということまでは、これを肯認することができるのであって(なお、矢沢の供述中に現われている大川車の先行車について、他の関係者がその存在に気づかなかったことは、格別異とするに足りる事柄ではなく、その供述の信用性には特段欠けるところがない)、この点は、間接的ながらも、前記のような大川車の進行と信号の変化との関係をかなりの程度まで裏付けるものというべきであるし、さらに、衝突の発生した時点において、京葉道路上の車両のうち交差点に進入していたものは、被告人車を除けば一台もなく、特に上り車線(被告人と対向)の先頭車は、三台ともそろって停止線附近に停止したままであった(単に事故に巻き込まれるのを避けるため発進を見合わせていたものとは到底考えられない)という客観的に動かし難い事実の存することもまた、所論のように停車中の自動車は青信号が現示された瞬間から実際に動き出すとは限らないものであることを考慮に入れても、事実認定上、やはり見逃すことのできない重要な意味を持つ事実といわなければならない。

そして、以上を総合すれば、大川車は、おそくとも、その対面信号が黄に変わってから、いわゆる全赤の時間を経て、被告人の対面信号が青に変わるまでの合計五秒間のうちには、衝突地点に達しており、したがって、衝突の瞬間には、被告人の対面信号はまだ赤を表示していたものと認めるのに十分といわなければならず、特に、被告人車がその停止線から衝突地点まで(一〇メートル内外)走行するのに要する時間を考慮に入れれば、被告人車が右の停止線を越える時点においてその対面信号がまだ赤であったことは、一層明らかであって(なお、被告人としては、停止線を越えるときに対面信号が赤であれば、仮に衝突の時点にはそれが青に変わっていたとしても、原判示のような過失の責任を免れないものというべきである)、青信号に従って交差点に入ったとする被告人の弁明は、大川の供述その他の関係証拠に照らし採用するによしないものであるから、被告人が赤信号を看過して停止しなかったため本件事故に至った旨の原判決の認定は、その結論において正当として是認することができる。

(牧 永井 本郷)

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